★210227不定期不揃い気まぐれ便 「ケンチク配財プロジェクト」始めます
またまた間が開いてしまいました。
杉並区の阿佐谷北の空き店舗を活用して「ケンチク配財プロジェクト」を始めます。
■ケンチクとは
住宅やビルディングといった「建築」の外縁部にある様々な関係性のデザインとそれを繋いでいく「つなぎのデザイン」までとらえたいということです。
建築を再定義して、新たな社会的役割としての「ケンチク」を考えていきたいと思います。
■配財とは
あなたが持っている最大の財産は、あなたが所有しているお金や地位・名誉などではなく、
*あなたが今ここに存在していること
そのものを財産と位置づけ、
それをみんなで分かち合い、お裾分けしていこうということです。
■キーワードは
・みんなの居場所
・ご近所
・地域互助
・自立支援
・贈与の経済
・コモンズ
・ケンチク(建築ではありません)
・コラボ
・分解教室
・工作教室
・当事者参加型螺旋数珠繋ぎ押出し連鎖方式
・鹿煎餅方式
・体験学習
などなど
■賛同いただける方、協力していただける方を募集中です。
このスペースの使い方やネーミング、資金調達なども含め、みんなで一緒に考えていきたいと思います。
marukomex.jp@nifty.com
までご連絡いただけると大変うれしく思います。
■今後、独立したコーナーとして「ケンチク配財プロジェクト」として発信していきたいと考えております。
★よろしくお願いいたします。★
随分とさぼってしまいました。
一年以上間が空いてしまいました。
いかんいかん!
昨日、あるギャラリーを訪ねました。
都営地下鉄大江戸線の西新宿五丁目という駅から徒歩数分のカフェです。
ツイッターで知り合った、AIKOさんという方の「長い旅の途中」という写真の個展です。
素敵なお店の空間と、AIKOさんの語り掛けてくるような写真がベストマッチングしていました。
珈琲を飲みながら、ゆったりとした贅沢な時間を過ごすことができます。
★190904不定期・不揃い・気まぐれ便
建築はオワコンか!
最近いろいろなところで問いかけをしています。
8月30日の、東京都建築士事務所協会杉並支部協力会員勉強会で、このテーマでトークショーをさせていただきました。
★190831不定期・不揃い・気まぐれ便
あそびのじかん+ひろがる地図/東京都現代美術館
快晴の8月末に行ってきました。
各コーナーとも「普通の大人が考える普通の遊び」の概念を打ち破る、体験型の展示の連続です。
まずはいきなり箪笥が壁一面にあり、そこにボルダリングの仕掛けが。このインパクトは素晴らしかったです。
どれも「なるほど」と思わせるものばかりでしたが、特に、紙でできた直方体の長辺4面に様々な言葉が描かれている箱がたくさんあり、それを組み合わせることで思わぬ表現になるという仕掛けのある部屋が感心しました。
続いて併設開催されていた「ひろがる地図」も観てきました。これまた「地図」の概念を変えてくれるものでした。中でも、今和泉隆行氏が描いた架空の都市「中村市(なごむるし)」の地図やまちの情報は架空なのに現実の生活空間に何かを突き付けてくるようでした。
その後は美術館の外部空間を探索。2017年にお亡くなりになった柳澤孝彦さん設計の美術館を堪能した一日でもありました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
下記にご意見などお寄せいただけたら幸いです。
marukomex.jp@nifty.com
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★190818不定期・不揃い・気まぐれ便/ヤマダ語辞典
当事者参加型・螺旋数珠繋ぎ押し出し連鎖方式
今回はちょっと長いです。そして場合によっては賞味期限切れかもです。ごめんなさい。
一時、こんなことを言っていました。言い始めたのは確か1999年だったような気がします。
そのころは「5年後には広辞苑に載るからね」と言っておりましたが、いまだに実現していません。「ウィキペデイアに投稿すればいいのに」と助言してくださる方もいらっしゃいましたが、それも未達です。
1999年といえば、2000年というミレニアムを迎えることもありましたが、我が国では「総合的な学習の時間」というものが学校に導入される少し前でした。「子どもの学びには地域とのつながりが必要」という想いで、「子どもプロジェクト」「われらプロジェクト」(いつか機会があったらご紹介させていただきます)というものに取り組んでいました。そんな関係から、まちづくりや体験学習、ボランティア活動などの分野でいくつかの連続講座の講師をさせていただく機会に恵まれました。
幸いに、ほとんどの講座は好評をいただきました。そのことにより、次の企画ものの講師を依頼されることもありました。大変ありがたいことです。大変ありがたいことですが、その企画をお聞きして、違うテーマであればもちろんお引き受けさせていただきましたが、一方、同様の企画の「次バージョン」的なものであったときに、表題のようなことを申し上げました。
それぞれのテーマについて専門的な知見を持たない私が、各講座でできることはたかが知れています。そのテーマについて、何やらありがたいお話などできるわけがありません。そんなことをしたら墓穴を掘るだけです。
しかしながら私は、それぞれのテーマには関心があります。そのテーマに私の関心をどのように深めていけるかと考えたら、そのテーマに意義を感じた参加者の方々から教わるしかありません。それとともに、専門外であることをご存じの企画委員さんがなぜ私に依頼してくださるのかも考えてみました。
私に期待していたのは、それぞれの専門的なことについての見識ではなく、進行の手法だったのですね。すっきりしました。だから「当事者参加型・螺旋術繋ぎ押し出し連鎖方式」が大切だと、言い出しっぺの私自身が納得した次第です。
これは簡単に言うと
・そのテーマに参加した以上、「他人事」ではなく「自分事」として関心を持ってください
つまり「当事者参加型」ですね。
・もしこの講座がいいと思ったら、あなた流にアレンジして講座をやってみませんか
つまり「螺旋数珠繋ぎ」です。
・それが好評だったら、あなたが続けて講師をするのではなく、参加者の方から講師になっていただくようにしてみませんか
つまり「押し出し連鎖方式」です。
ということです。
私にできることは
・なんでこの講座に参加しようと思ったんですか
・ほかの参加者の考え方を聞いてあなたはどう思いましたか
・この講座を通してあなたはどういうことをしたいと考えていますか
を投げかけることです。
そしてそういったことを聞きながら、参加者間で共有できるようにしました。そうすると、個人的な問題が社会的な課題であることに気がつきます。そして参加者の皆さんが自発的に目標を定めていきます。
「学び」についてヤマダの三原則(勝手にヤマダ語)があります。ただし時々順番は入れ替わります。特にその意味はありません。ではその三原則です。
1)学びは自己を守る重要な手段である
2)学びは「自由」で「自発」で「自然」でなければならない
3)学びを保障する社会システムとしての教育は、社会を連続させる役割がある
これをいつも思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
下記にご意見などお寄せいただけたら幸いです。
marukomex.jp@nifty.com
★190729不定期・不揃い・気まぐれ便
映画「ニューヨーク公共図書館」を観てきました
昨日(2019年7月28日)、吉祥寺のアップリンクで上記の映画を観てきました。
途中休憩が入る長時間のドキュメンタリーです。先週末から事務所に泊りこみ、帰宅して出社後また事務所に泊りこみという状態で、日曜日の未明に帰宅した後の映画だったので、途中気を失っていた時間があったかと思います。従いまして全編を見通したという自信はありません。
残念ながらパンフレットは売り切れで、入手することができませんでした。
それはともかく、ニューヨークの公共図書館は、
①公共+民間の寄付金で運営されていること
②市内にいくつもの分館があること
③分館ごとに運営委員会が、それぞれの地域の事情を抱えながら運営のための経済的なことだけでなく、図書館の役割がどのようにあったらいいかについて議論していること
④図書館は書物の収蔵庫ではなく、文化の発信や共有の場所であることを意識していること
などが伝わってくる内容でした。
ダンスやコンサート、子供への学習支援、生活困窮者への情報提供の役割を担っていることも紹介されています。それらは、アメリカがかつて奴隷制度を持っていたことや多くのところからの移民がいることも背景として反映されているようです。
デジタルテクノロジーが急速に進化しつつある現在においても、「なまの関係」「じかの関係」といったアナログも、つまり生産性だけで測ることのできない尺度が不可欠だということが改めて浮き彫りになったような気がします。そして公共建築のありようも考え直さなければいけないような、そんなことを感じさせる映画でした。
★190722不定期・不揃い・気まぐれ便
多文化または多様性について
昨日、成蹊大学の公開講座に参加してきました。成蹊大学文学部スペシャルレクチャーズ「日本語教育は社会にどう貢献できるか」です。
その内容はちょっと後回しにして、違うことを書きます。会場の入り口前に「ご自由にお持ちください」と紀要や論文集がありました。全部持ち帰ろうかと思いましたがたくさんあったので、目次を見ながら読んでみたいものを数冊いただいてきました。そのうちの「成蹊人文研究代26号(平成30年3月)」(成蹊大学大学院文学研究科)に収録されている「多文化社会の可能性と困難ーウィーンの社会史を通してー」(中江圭子)を読みました。
その中から気になった言葉を紹介します。
ハプスブルグの皇帝を描いたものについて
『これれの物語群は、少なくともハプスブルグの領地やあるいはウィーンという都市に生きる人びとにとっては、限りなく反復して「思い起こす必要のある伝説』であったことは確かである。』
とのくだりがありました。
わが国の「伝統的文化」や「伝統的家族像」といったものは、明治以降に形成されたものが多いようです。これもある意味での「伝説」ととらえることができたら、もっと豊かで柔軟性を持ったものが私たちの暮らしの根底、あるいは無意識下にあることに気がつくことができるのではないでしょうか。
日本文化の特徴の一つに、他文化を柔軟に取り入れ、したたかに自文化化(ヤマダ語)してきた歴史があります。それを見れば、我が国には多様に対する許容力や包容力があったはずです。そしてその多様性を受け入れることで生じる様々なストレスに耐え、乗り越えることでこそ固有の文化が鍛えられ、その価値を増すのではないかと思います。
私は、だからその時や自分の都合で歴史の一部を切り取って伝説にしない方がいい、またはしてはいけないと考えています。これって建築生産分野(設計だけでなく施工の部分も含めて)にも言えることです。
近年のIT化やAIの進歩により、建築生産分野の多くのものが様変わりすることでしょう。もちろんそのことで生じる喪失感も間違いなくあることでしょう。私も「匠の技」といったものが「簡単に」AIに置き換えられていいとは思いません。
でもね、長い時間の流れを見てみれば、社会的ニーズの変化によりそれまであったものが他のものに変わってきたように、それらを乗り越えて歴史が積み重ねられてきたというのも事実なんですね。
だからこそAIがどこまで進化していくのか、それによって生き物としての人類がどのように対応できるのかといったことを、好き嫌いでなくいったんはきちんと勉強していく必要があるのではないかと考えるところです。
★190705不定期・不揃い・気まぐれ便
建築の再定義~一つには「つなぎのデザイン」・・・かも
「建築」って何だろうとずっと考えていました。小学生5年の時に、建築家になりたいと思って以来の自問を含めた私のテーマです。そのため、いろいろと寄り道をしました。その約40年のことは割愛します。
結論めいたことを言うと、建築とはつなぎのデザインということではないか、です。
例えばの話ですが、住宅を設計するということを考えてみました。普通は住宅という「ハコ」の設計ですね。それは間違いはありません。でもそれに込める「想い」や「暮らしのありよう」などを考えるとそれだけではないよう気がします。そんなことがあったので、結構若いころ(30代ごろからでしょうか)から、違う表現の仕方があるのではないかと、言葉を探していました。
そこで行き着いたのが「つなぎのデザイン」という言葉です。申し訳ありません、ヤマダ語です。
その意味について、例えば住宅を設計するということは何だろうと考えた見ました。
それは
①世界中でたった一つしかい\ないその土地と、世界中でたった一組しかいないクライアントとの関
係をデザインする
②その土地は、法令以外にも、駅に近いとか坂道があるとか、生活に不便といった社会的な環境と
の関係をデザインする
③そこには具体的な建築物ができるので、その素材や生産地、素材を加工する技術や担い手、それ
らを成り立たせるために時間やお金の関係をデザインする
と考えたらすべて「つなぎのデザイン」と言い表してもいいのではないかと考えた次第です。
これは一つの要素でしかありませんが、そこから「建築の再定義」が見えてくるような気がします。
これって、私たちの既成概念ををぶち壊し、その上で想像力をもって再構築していけるような楽しい作業に思えてきます。
ヒントや叱咤、できたらたくさんの激励があると励みになります。
★190704不定期・不揃い・気まぐれ便
BIMコミュニティ杉並 始動!
6月28日に「BIMコミュニティ杉並」が始動しました。8社15人の参加でした。極端な言い方になるかもしれませんが、わかりやすく言うと「茹でガエルにはなりたくない!」というのが共通の想いです。
残念ながらその時の様子の写真を撮るのを失念しておりました。ごめんなさい。
これは、福井コンピュータさんの全面的なご協力を得て始めました。詳しくは述べませんが、建築設計分野は人材確保だけでなく、職能のありかとも含め大きな岐路に置かれています。
私たちの仕事と思われている分野の「建築の再定義」が必要だし、それを考え、一点の灯りを見出していこうとすることかもしれません。
まずは「行動を起こさなければ」ですね。手探りなので、いろいろと教えてください。
★190625不定期・不揃い・気まぐれ便
新鮮な想い
昨日、東京都建築士事務所協会の定時総会に出席してきました。そのあとに開催された東京建築賞の表彰式にも出席しました。賞を取ったそれぞれの作品は、賞にかなうものばかりでしたが、中でも若い人の住宅系の建物に新鮮な想いを感じました。
思い切りのいい、斬新な発想のものが何点かあり、Oh!と心の中で叫んでしまいました。
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★190625不定期・不揃い・気まぐれ便
新鮮な想い
昨日、東京都建築士事務所協会の定時総会に出席してきました。そのあとに開催された東京建築賞の表彰式にも出席しました。賞を取ったそれぞれの作品は、賞にかなうものばかりでしたが、中でも若い人の住宅系の建物に新鮮な想いを感じました。
思い切りのいい、斬新な発想のものが何点かあり、Oh!と心の中で叫んでしまいました。
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★190624不定期・不揃い・気まぐれ便
反省の日々というか、言い訳にしちゃいかんということかな。付け加えて「歳だから」なんて言うなよ!
最近知り合った方で、中西さんという方がいます。詳しくは
https://note.mu/bookroad/n/nd5efd5051e5e
でご覧ください。
この中西さんが、吉祥寺で新しいタイプの本屋さんを始めるべく奮闘中です。これについてはフェイスブックでもお知らせしたので割愛します。
先日(2019.06.22)に改装中の現場をのぞいてきました。 残念ながら写真を撮るのを全く失念していました。なのでその時の様子を映像でお伝えすることができません。ごめん。
で、今日はそのお店の話ではなく、そこに集まった人たちから教わったことの報告です。
この季節(6月後半)での室内作業をエアコンなしでするのには大変です。そこで水分補給系の飲み物を差し入れに行きました。ちょうどというか、それをきっかけに休憩。そんなときに交わされた会話です。
中西さんが助っ人の男性に「今度ハッシュタグのことを教えてね」という趣旨の話をしました。そこからしばらくSNSの活用に関する会話がありました。そこで私が知人から預かっている災害用の簡易トイレが450個ほどあるんだけど、売りさばくにはどうしたらいいかという質問をしました。途中の話は省略しますが、結果として自分でSNSに発信するべきという答えが返ってきました。
一瞬「う~ん、そうは言ったって、こっちは70の爺さんだぜ」と思いました。が、私の娘ぐらいの年齢の中西さんでさえSNSを完璧に使いこなしている訳ではないことがあったので、「つまり自分で勉強しろってことだよね」と素直に納得しました。
ずいぶんと昔(たぶん四半世紀以上前)に、「こうなったらいいのに」という他人任せの気持ちでいたらいつまでもそこに到達できないと自分に言い聞かせ、とにかく行動をしなければということを心に決めたことを思い起こしました。
いつの間にか、それを歳のせいなどにして努力をしていなかったんですね。
若い人たちから「それって自分でやらなきゃ」とあっさりと言われたことが素直に自分の中に入ってきました。
そもそもが「歳のせいですよ」という言い方にものすごい反発を持っていました。その反発とは「自分はまだ若い」と言い張ることではありません。そもそも「歳だから」で片づけられたら先がないじゃないですか。「歳だからこういう分泌物が少なくなるからこういった機能が低下するので」とか「加齢により一定の負荷を与えておかないと筋力が急速に衰えやすいので」いろいろなことができにくくなる
といった話であれば、「それは仕方がない」とあきらめるか、「そうか、では食生活を変えてみよう」とか「ジョギングやストレッチングを継続しよう」という克服プログラムを選択することができます。
そのように考えていた自分が、どこかで歳のせいにしようとしていたのですね。
反省!!。そしてめげずにSNSの使いこなしにトライし続けようと、改めて心を引き締めた機会でもありました。
「歳だから」なんて言うなよ! ではなく「歳だから」なんて言い訳にするなよ! ですね。
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★190617不定期・不揃い・気まぐれ便
「臨床住居学」と「国民住宅保険」
「臨床」は、もともとは医療の分野で使われている言葉です。それを建築の分野に当てはめてみたらという発想です。
住宅を設計した後、その建築主と長くお付き合いをさせていただくことは、設計者にとっては大変うれしいことです。そうした中から、家族の変化に合わせて、住まい方について一緒に考えていく。建築主と設計者のある意味理想的な関係です。でも、全部がそういった関係を維持できるわけではありません。特段に親しい友人ということでもなければ、どちらが親か子かはともかくとして、引き渡しの時点でいったんは親離れ・子離れをすることも必要かと思います。
一方、私が建築相談会で相談員になった時や、何かしらの調査でお住まいにお邪魔した時に、住まいのリフォームや増改築、あるいは処分などについて誰に相談をしたらいいかわからないということをよく聞かされます。
住まいや暮らしに関する専門分野は多岐にわたります。でも、それらは別個に対応しているだけで、少なくとも専門分野間での協働というシステムは組み込まれていません。
それを何とかできないか、と考えていた時に「臨床住居学」を発想したという次第です。
確かなイメージがあるわけではありませんが、建築主に寄り添うように、つまり伴奏型ですね、そうしたスタンスで住まい手の様々なニーズに対応できる職能や手法は何なのかと思考をめぐらしていました。
さて、それをプロフェッショナルの仕事にするためにどうしたらいいでしょうか。やはり専門性を持ったプロの業務分野になるので、適正な報酬がないと対応することができません。
建築主の経済的負担をできるだけ少なくし、対応するプロフェッショナルに適正な報酬を保証する。そんなうまい手立てがあるのだろうか。そんな試練にさらされます。
そこで考えたのが「国民住宅保険」です。
私の記憶では30代の後半、つまり西暦でいうと1980年代にこんなことを考えていたようです。これに加入していたら、*割負担で済む。そこからプロフェッショナルに報酬が支払われる。こんな仕組みがあれば、住み手も建築設計者も応分の負担と報酬で成り立つのではないかと考えていたのですね。
★190616不定期・不揃い・気まぐれ便 その2
時に政治的な話 でもね、普通にしたいことかも
難しい話ではありません。そんな方法があるんだという話です。ただしその前に、なぜそう感じたのかをお話ししなければと思った次第です。
2001年の9月から10月にかけてドイツに3週間滞在ずる機会を得ました。日独青少年指導者セミナーという2国間交流の事業です。ずいぶんと前ですが、その時の話です。
その年はアメリカの大都市が同時多発テロに襲われました。
https://www.youtube.com/watch?v=ZAYd1jcJENU
また、高橋尚子さんが9月30日のベルリンマラソンで、当時の世界最高記録を出した時でした。
その時は私にとって初めてのヨーロッパということもあってか、地理的な感覚が分からないままコペンハーゲン経由で雨の夜フランクフルト空港に到着したと記憶しています。
何が理由かはわかりませんが、アメリカのアフガンに対する攻撃の様子がテレビや新聞に報道されていました。ドイツ語が全く分からない私にとって、それらは不安を掻き立てる以上の何物でもありませんでした。
そういった中で、チューリンゲン州議会を訪問したときに印象に残ったことがあります。それは各政党(当時3つの政党がありました。どの政党がどのような政策なのかはよくわかっていません。)が協力して、青少年に対する政治教育を実施しrていることでした。
面倒くさい話はここではしません。
そこで行われていたのは「政治は社会参加」です。そしてその上でどの政党を選ぶかは本人の自由ということでした。
政治って、ごくごく身近なことを考えることなのだと思います。
わが国では政治活動=政党活動のようですね。
★190616不定期・不揃い・気まぐれ便
街角の風景
JR阿佐ヶ谷駅近くのガード下が数年前に再開発(リニューアル)されてできたカフェです。客層もいいせいか、静かだし、何よりもお店の人が程よく客を放っておいてくれます。客席も一定ではなく、へーこんな席もあるんだというように、お客さんがくつろげるようにデザインされています。
このお店の特徴の一つは、一定のルールがあるようですが、お客さんというか誰かが提供した本が並んでいて、それを勝手に手に取って読んだりすることができることです。
肩ひじを張らないで出版文化を継承する一つの手立てですね。
阿佐ヶ谷には「ユジク」という小さな映画館があって(近くにラピュタもありますよ)、個性的な番組編成をしているので、時々妻と映画を見に行きます。そんなときの待ち合わせ場所が、このブックカフェです。
★190530不定期・不揃い・気まぐれ便
「井の中の蛙」と「茹でガエル」、そして「建築の再定義」
別に天下を取ろうとか、そんな気があるわけではありませんが、「井の中の蛙」のままではいたくありません。でも、それであれば小さな井戸の中で生きていけるかもしれないけれど、「茹でガエル」にはなりたくないと、かなり危機感を持ってそのように考えています。
「茹でガエル理論」とか言うようですが、環境の変化に対応できないというか、気が付かないでいるうちに茹で上がって死んでしまうことを比喩として言い表したようです。
私が身を置いている建築設計分野も、今まさにその状態に置かれているような気がしてなりません。
「今」がどういう状況かと考えると、いろいろな見方があるので一概にいうことはできないかもしれませんが、とりあえず山田流の整理ということでご理解いただけると幸いです。
建築設計分野は、次のようなことに直面しています。ただし順不同です。
1)人口減少に伴って、建築に対するニーズが変わってきています。
それは新築という行為から「今あるものを使いこなす」ことへの対応が求めれらているというこ
とです。
単なる「リノベーションによる再生」ではありません。
2)多くの分野がそのようですが、建築生産分野(設計や施工、あるいはメンテナンス分野)でも深
刻な人手不足状態です。
3)IT技術の高度化やAIの進化により、設計や施工の方法が激変します。
例えばBIMの導入を「まだ早い」とか「高いんでしょ」とか「うちのような小規模事務所では」
などという言い訳を言っている場合ではありません。
4)価値観の多様化や、国際交流をはじめとした多文化共生の考え方が共有されていくことと重なる
ように、伝統的とか標準的というような家族像が一般化されなくなってきています。
こんなこと書くとよくないかもしれませんが、伝統的とか標準的にとらえる家族像は、我が国の
歴史から見るとそんなに古くからあるわけではなさそうです。
5)我が国においては戦後の、都市は成長し拡大するということを前提に作られた約束事(法律や制
度)が存在基盤を失う方向にあります。
6)SDG'sに代表されるように、国際的に持続可能な社会づくりに取り組んでいかなければならず、
建築設計分野も無縁ではいられません。
7)生活の収入を得る手段が就職先の企業からという1か所依存型から、時間帯や曜日によっては自
営ないしは様々な社会活動と連携させた事業からの収入という組み合わせ型(ハイ・ブリッド
型)の選択も可能という社会環境に変容していく。
8)その他
こうしたことから考えると、私たちが「普通」に考えてきた「建築」そのものが変わらざるを得ないのではないかと最近思います。それには建築の意味や役割、あるいはその担い手がどういった人であるべきかもふくめた「再定義」が必要ではないかと思うところです。
長くなってしまいました。
皆様のご意見をお聞かせいただけたら幸いです。
marukomex.jp@nifty.com
追伸) 下の写真は、私が住んでいる団地から採ったイチョウの葉です。それを水でざぶざぶと洗って、ざるで水を切っているところです。
イチョウの葉ってなかなか乾燥しないんですね。
数年前に、同じく団地に生えていたドクダミを採取・乾燥させてドクダミ茶として、煮出し方式で仕事場で飲んでいます。
今年はドクダミの葉を例年以上に採りましたが、合わせてイチョウの葉も採りました。それらを程よくブレンドして(テキトーに混ぜ合わせて)「ドクチョウ茶」として飲んでみようかと企んでいるところです。
190530その2
学生時代に読んだ(はずと記憶している)エドワード・ホールの「かくれた次元」を読み返しています。
第1刷が1970年。私が購入したのが1973年1月29日。新宿小田急デパートの中にある三省堂で買ったというメモがありました。
まえがきに下記のような文言があります。
「われわれがみな、多くの情報源からのデータに圧倒されている今日の世界では、人々がなぜ自分の専門とする分野においてすら発展に追いついていけないと感じがちなのか、容易に理解することができる。だれでも感じているように、世界ぜんたいとのかかわりが失われているという意識も、しだいに強くなりつつある。このかかわりの喪失の結果、照合の枠組みをオーガナイズして、人間が対応してゆかねばならぬ大量の、しかも急速に変化する情報を統合してゆきやすくする必要が、ますます増大しつつある。」
まだ半分ぐらいしか読み進んでいませんが、今呼んでも新鮮というか、約50年前に訳されたこの本に書かれていることが、今だからこそリアルに感じ、受け止めることができるような気がします。
もう少し読み進んだら、不定期・不揃い・気まぐれ便でご報告したいと考えています。
お便りいただけたら幸いです。
ではでは。
marukomex.jp@nifty.com
190530
随分とさぼってしまいましたが、少しだけ心を入れ替えて、つぶやきを続けることにしました。不定期・不揃いの気まぐれ便です。
おいやでない方はよろしくお願いいたします。
今日は9:50から3階床・梁、4階柱の配筋検査。晴れるのはいいけど、この時期外での作業は暑くて大変。鉄筋工の皆さま、時々日陰で休んでください。現場が始まったら、みなさんが頼りです。
この現場は、きれいに配筋されているので気持ちよく検査ができます。もちろん合格です。
杉並建築会大会2014年で子ども空間体験をしました。